平澤一(1996)『書物航游』中公文庫(1)
古書と物語
「古本」であるということは、古書店に並ぶ前、それは誰かに所有されていたものであるということです。
その本の所有者は、何らかの形でその本に書かれていることに興味を惹かれたり、またはその本を読む必要に迫られたりして、一度購入しています。
しかしまた何らかの理由で、その本を手放し、それがまた別の、その本に興味を持ったり必要だと感じた人によって買われ、再び読まれます。
つまり最低二人の人間が、店主を入れれば3人以上が、大抵はお互いを知ることもなく、古本を介してつながりをもつことになります。
ひとつの本の読者同士であるという時点で、その本に関する内容や知識をある程度共有しているわけですが、そのつながりは精神的なものです。
ところが古本の場合、そこにはさらに物質的なつながり、つまりその本自体を持っている、という点でもつながりができます。
このようなつながりのなかで、モノとしての本にも、その所有者の歴史や物語が蓄積されることになります。
古本についての本は、そのような本の内容の外側にある物語や、所有者の人生について知ることのできるものです。
平澤一の『書物航游』は、そんな本の一つです。
平澤一について
著者略歴によると、平澤一は1925年、京都生まれ。1951年京都大学医学部卒。1973年より金沢大学教育学部教授。専攻は障害児病理学。
古書についての本を学者が書くというのは珍しくありませんが、人文系ではなく精神医学という理系分野の研究者が書いているというのは、少し意外な感じがします。
平澤は自ら精神科医として臨床の現場に立つだけでなく、精神医学分野でも『軽症うつ病の臨床と予後』(医学書院、1966)などの重要な業績を残しています。
少し調べた限りでも、平澤の研究は現在の精神医学論文でも参照されているようです。
平澤は終戦以降、入院するまでには至らない、比較的軽症とみなすべきうつ病患者が増えていることを発見し、「軽症うつ病」という症状のカテゴリーを提唱します。
1960年代までの精神医学界において支配的だった考えでは、「うつ病」とは入院治療を必要とするほど激しい症状(「高度の昏迷や躁うつの周期」[清水、2012、72]の反復など)が見られる重いものを示すものでした。
平澤の理論は、「うつ病」を単一的な症状として捉え、軽重を単なる段階的差異とみなすのか、または「軽症うつ病」のように異なるカテゴリーとして捉えるべきかという問題を提示し、うつ病の概念が拡散している現在においても議論されています(大前、2009、p. 487参照)。このように、平澤の研究は「医学史的にも重要である」(清水、2012、72)と考えられています。
さて、平澤はこの『軽症うつ病の臨床と予後』のなかで「夥しい数のドイツ語文献を猟歩しながら綿密な検討を行った」(2012、pp. 72-73)といいます。
しかしこの『書物航游』を読めば明らかなことですが、専門分野以外でも平澤は大変な読書家であり、幅広く興味の赴くままに大量の書物を読みこなしていたに違いありません。
そして精神科医であり読書家であったことが、この本における「古本にまつわるエピソード」の独特な語り口となって表れており、それが大きな魅力となっています。
平澤一(1996)『書物航游』中公文庫(2) - Folgezettel