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メモとカードとアウトライン

リチャード・パワーズ(2015)『オルフェオ』(木原善彦訳)新潮社(2)

感想

リチャード・パワーズ(2015)『オルフェオ』(木原善彦訳)新潮社(1)

ゲノムと音楽

そもそもなぜエルズは遺伝子工学に手を出したか。それは、遺伝子の構造やその運動性が、音楽のそれと同じものだからです。両者を結ぶキーワードは「感染」です。

生命とは、相互感染以外の何ものでもない。そして全てのメッセージは感染する際、相手のメッセージを書き換えてしまう。(106)

遺伝子コードによって構成された細胞のバリエーションは、自己複製の原理に則り増殖していく。これは譜面に書かれた楽譜記号が、譜面自体のコピーや演奏という手段によって再生される過程になぞらえられます。しかしこの時、複製・再生される記号のパターンによって生じる効果は、宿主=演奏家の想定した通りのものとなるとは限りません。

生命は自身の複製で世界を満たす。音楽とウィルスはどちらも宿主を欺き、自分たちの複製を作らせる。(291)

それは意図を超えた、または意識にはのぼらないレベルでつねに活動を続け、自己複製を繰り返し、増殖したり進化・退化していったりします。

いったん、抑圧された証拠を見つけてしまうと、人間界の出来事に関する標準的な説明が全て滑稽で利己的なものに変わった。貿易、科学技術、国家、移民、産業。全てのドラマを本当に組織しているのは、地球上で変化を続ける五百穣(穣は十の二十八乗)の微生物だ。 […] 細菌が戦争を決断し、発展を促進し、帝国を滅亡させた。誰が食料を得、誰が飢えるか、誰が裕福になり、誰が薄汚い病に倒れるかを決めるのは細菌だ。[…]微生物がヒトDNAの発現を統合し、人間の代謝を調整する。微生物はわれわれを囲む生態系だ。踊るのはわれわれだが、曲を決めるのは彼ら。(212-213)

音楽家として、エルズはすでに多くの楽曲を世に送り出してきました。しかしその音楽が果たしてどのような効果をもたらすのかについては、作曲者の理解の範疇を超えてしまわざるをえない。多くの場合、それはそもそも聞かれないか、作曲者というオリジナルを離れ、それ自体のみで成立するものとなってしまいます。

エルズの作成した細胞もまた同様です。そもそも彼の作り出した細胞以外にも、認識され得ず意識もされえないようなレベルで、天文学的な種類の細菌や細胞が活動をしています。

もしも私の曲があなた方を取り囲んでいたとしても、誰もそれに気が付かないだろう。億単位であらゆる場所に存在する、細胞の形をした歌たち。(301)

この歌声=細菌へと、人々の目がついに止まった瞬間。しかしやはりそれが周囲にもたらす影響は、作成者はもちろんのこと、誰にもわからないものとして表れてきます。

私が考えたDNA配列が生物学的な意味を持たない可能性はほとんど無限大だった。しかし、”ほとんど”というのでは駄目なようだ。(269)

誤解・誤読についての物語

こう振り返ってみると、この話は誤解・誤読についての物語にほかなりません。単にエルズが誤解されたという話ではなく、音楽や細胞自体、つねに誤解・誤読を前提として成立しているといえます。というのもその意味は、環境や文脈、状況によってその都度変化する可能性を持ち、かつそのような変化の可能性こそが、その存続の可能性の前提となっているからです。

文法はあるが、辞書はない。何かは分かるが、意味はない。差し迫ってはいるが、必要性はない。それが音楽と細胞の化学だ。(234)

それ自体には意味がない。しかしそれが状況と結びつくことで物語が生じていく。ペンシルバニア州のエルズの細菌テロ疑惑の数日後に報道される、アラバマ州の病院での感染報告と9名の死亡報告。約1000マイル(≒1600km)離れた地点の出来事が互いに結び付けられる。物語のなかに配列される限りにおいて、それは不可避的に意味を持ってしまう、というか持たされてしまいます。それは「ほとんど」意味を持たないはずの小さな出来事の集積が引き起こした、突然変異的に生じたエルズの物語にほかなりません。