ハワード・S.ベッカー, パメラ・リチャーズ(1996)『論文の技法』(佐野敏行 訳)講談社学術文庫(1)
書く時に見るカード
書く前に必ず行うことのひとつに、「書く時に見るカード」をぼんやり眺めるというのがあります。何かを書く前に、一度これらの情報カードを繰って、書く心の準備をするという、おまじないのようなものです。
カードの内容は、論文執筆指南書や文章作成の心得などについて書かれた本から、これはと思うものを概要的に抜書きしたものがほとんどです。この記事を書いている現在、全部で14枚あります。そのなかで半分の7枚を占めているのが、ベッカーの『論文の技法』から作成したカードでした。
『調べる技術・書く技術』(野村進/講談社現代新書)では、このような文章や表現のことを「ペン・シャープナー」として紹介していますが、ベッカーは私にとっての大切な「ペン・シャープナー」にほかなりません。
人はどのように書くのか
本書は社会学専攻の大学院生を対象として開講された「論文のための文章作成法」のセミナー、いわゆるアカデミック・ライティングのセミナーをもとにして書かれています。
タイトルを見ると巷にあふれる論文の書き方指南の本にしか見えません。しかし具体的な作文指南というよりか、そもそも〈書く〉という行為を、いわば観察しているような本です。
そのため、この本は社会学者の論文だけに限った話ではない、もっと大きな「書くこと」という文脈のなかでも捉えられるように思います。 つまり、人はどのようにして書くのか。着想を文字に起こす時に生じるさまざまな出来事のドキュメンタリーとしても読める本です。
参与観察を通して見る〈書くこと〉
「〈書くこと〉を観察している」と書きましたが、このことはあとがきで訳者も述べています。この本は「論文を書くことについての民族誌(エスノグラフィー)」(p. 317)といえるようなものとなっています。
著者のハワード・S.ベッカー(1928‐ )は米国の社会学者で、マリファナ使用者などの「アウトサイダー」たちを対象とし、社会的な「逸脱」がどのような基準や過程のもとに生じているのかについて研究している『アウトサイダーズ(Outsiders)』(1963)が主著として挙げられます。
その中でベッカーは実際に現場に赴き、当事者たちのインタビューなどの実例を通じて仮説を検証する「参与観察法」という方法を用いていますが、『論文の技法』でも、ベッカー自身が〈書くこと〉の現場に密着しながら書くという「参与観察」の手法をとっているといえます。
ハワード・S.ベッカー, パメラ・リチャーズ(1996)『論文の技法』(佐野敏行 訳)講談社学術文庫(2) - Folgezettel