紀田順一郎(1986)『読書の整理学』朝日出版社(朝日文庫)(4)
紀田順一郎(1986)『読書の整理学』朝日出版社(朝日文庫)(1)
紀田順一郎(1986)『読書の整理学』朝日出版社(朝日文庫)(2)
紀田順一郎(1986)『読書の整理学』朝日出版社(朝日文庫)(3)
「書評的論説のすすめ」(p.266)
本を集めることは、アウトプットにつなげるためのインプットであり、またその逆に、さらなるインプットにつなげるためのアウトプットという循環を引き起こすことに他なりません。
しかしインプットしたものに頼りすぎてしまうと、本に書かれていることに引きずられてしまって、自分の考えや独創性といったものが失われてしまうのではと危惧する向きもあるかもしれません。
しかしはたしてインプットを増大させることは、自分だけのオリジナルなアウトプットの妨げに、本当になるのでしょうか。むしろそのような神がかり的なインスピレーションの瞬間や、問題の完全解決といった最終的理想形を求めてしまうと、時間がかかって結局なにも書けずじまいということにもなりかねません。
紀田が本書のなかで引いているのは、ドイツ現代史の篠原一の「書評的論説のすすめ」という短文より抜粋した以下の文です。
参考資料が多すぎて、じっくりしたものを書こうとするほど先が遠くなる。独創性にばかりかかずらっていると機を逸するばかりだから、むしろ気を軽くして、いくつかの本をテーマごとにまとめて書評的論説を書くべきだろう。そのうち独創性も出てくる。(p. 266)
「そのうち」がいつ来るのかはわかりませんが、それが来るのは明らかに〈情報〉から〈再現情報〉への循環を反復している限りにおいてではないでしょうか。
気楽なアウトプットが読書の呼び水となって、さらにまた別の情報を生産する内に、ようやく〈自分〉の考えといったものが浮かび上がってくるように思われます。